2019-12
文責:玉木英明
2019年 12月号 ことば。たえず変化し新しい価値をもつようになる「生きた」文化
ラオウを追って…
ケンシロウ: おい、おまえ…。
少年: うわっ!いきなり何ですか!
ケンシロウ: おまえに、聞きたいことがある…。
少年: ご、ごめんなさい!知りません!
ケンシロウ: まだ、なんにも聞いてないぞ…。
少年: だって、恐い顔と、筋肉ムキムキで、せまってくるんだもの。
ケンシロウ: おまえ…ユリアを知らないか?
少年: ユリア?どんなつづり?
ケンシロウ: Urea…だと思う。
少年: それって英語で、に、尿素(にょうそ)…
ケンシロウ: おまえ、何をごちゃごちゃ言っているのだ?
少年: い、いや、においは、ないはず…
ケンシロウ: おまえ、失礼なやつだな。ユリアがくさいわけないだろ?
少年: でも、もともとアンモニアと二酸化炭素が…
ケンシロウ: おまえ、何か知っているな?
少年: いや、知っているのは名称くらいで…
ケンシロウ: オレは、ユリアが大好きなのだ。
少年: 大好き?えらいものを…
ケンシロウ: …まあいい。では、ラオウを知らないか?
少年: ラ王?
ケンシロウ: そうだ。何ヶ月も歩いて、探している。
少年: さっき、見たような気がするのだけれど。
ケンシロウ: ど、どこで見た!
少年: い、いたい、服をひっぱらないで!
ケンシロウ: 言え!どこで見た!
少年: あそこのコンビニだよ!
ケンシロウ: ほんとか?ほんとうなのだな?
少年: ウソなんか言わないよ。
ケンシロウ: ううむ、あんなところにいたとは…
少年: お湯を持ってったほうがいいよ。
ケンシロウ: …?どうしてだ?
少年: だって、ラ王は、お湯をかければいいんだよ。
ケンシロウ: 湯をかける?そんな拳法が効くのか?
少年: お湯をかけたら気をつけて。わりとかんたんに、のびちゃうから。
ケンシロウ: あいつ、そんなに弱かったのか…。
「おまえ」はもう死んでいる。
ケンシロウ: おまえ、ラオウのことをよく知っているじゃないか。
少年: あのね、おじさん、さっきから気になっているのだけれど、今の時代「おまえ」という
言葉、使わない方がいいよ。
ケンシロウ: どうしてだ?
少年: 「おまえ」は、あまりきれいな表現じゃないと多くの人が思うようになったのさ。
ケンシロウ: みんなが使う言葉でなくなったというのか?
少年: そう、意味は知ってても、あえて使わない言葉さ。
ケンシロウ: 「おまえ」という言葉は「もう死んでいる」ということか?
少年: そう、使う人は、確実に減っているよ。
ケンシロウ: どうして、減っているとがわかるんだ?
少年: 中日ドラゴンズの応援歌の中の「おまえが打たなきゃだれが打つ」ってフレーズ、
品がよくないからと、応援団が自粛することになったんだよ。
ケンシロウ: そんなに大きな問題か?
少年: ネット上で「おまえ」という表現は、下品だという意見が多く出たのだよ。
ケンシロウ: 学生時代に互いに「おまえ」と呼び合った友人とは、何十年もたった今でもそう
呼び合うし、先輩が後輩に「おまえ」っていうのも、あたりまえだったぞ。
少年: 今では、先輩と後輩でも「おまえ」はあまり使わないし、一般社会の中で、
例えば上司が部下を「おまえ」と呼べば、その資質を問われかねないよ。
ケンシロウ: 自分の女房に向かってなら「おまえ」って呼んでもいいだろう?
少年: 昔はそうだったかもしれないけれど、今では「若い人たちほど使わないことば」に
なっちゃったんだよ。アンケートの結果だから、明白だ。
ケンシロウ: フランク永井の「おまえに」って歌、なかなかいいぞ。
少年: 上から目線だし、昔の男性上位の社会を反映した言葉だと思わない?
ケンシロウ: 中村雅俊の「ただ、おまえがいい」なんて歌も、オレは好きだ。
少年: 逆に、妻が夫に向かって「おまえ」っていったら、ケンカになるでしょ?
ケンシロウ: 歌なんだから、しょうがないだろ。
少年: ザ・タマキタイムズに出てくる歌は、いつも古いなぁ。中高生は知らないよ。
「おまえ」は「御前」、いい意味?
ケンシロウ: 「おまえ」ということばは、「前」に接頭語の「御」がついたことばだ。
少年: たしかに、神仏を敬って使う「御前(おんまえ)」とか、「御前(みまえ)」という
ことばは、現代にもあるね。
ケンシロウ: ほうら、やっぱりそうじゃないか。「おまえ」はていねいな表現だ
少年: 「貴様(きさま)」ということばを知ってる?
ケンシロウ: 知ってるぞ。相手を貴(とうと)い、あなた様とあがめることばだ。
少年: ケンカをして、こぶしをふりあげ、相手をなぐろうとする時なんて言う?
ケンシロウ: 「きさま~」だ。
少年: なぐろうとしているやつを、「あなた様」って敬う?
ケンシロウ: …それはないなぁ。ただ御前も貴様も相手を敬うことば…
少年: 江戸時代の中頃まで、「おまえ」も「きさま」も相手を敬うことばであったことは
確かみたいだよ。でも、だんだん敬意の意味がうすれていって、明治以降、
同等な者や目下の者をさすようになって、それが最近さらに進んで
「きれいでないと感じられる表現」になってしまったのさ。
「おれ」「ぼく」「わし」。自分をどう表現するか?
ケンシロウ: ちょっと、聞いてもいいか?
少年: いいけど、北斗の拳の登場人物のことは、くわしくないよ。
ケンシロウ: 自分のことを「オレ」というのはどうだ?
少年: 「おのれ」の転化だといわれてるよ。
ケンシロウ: 語源の話ではなく、使ってきれいな表現かどうかを聞いているのだ。
少年: 友だち同士ならいいけど、乱暴なイメージのある言葉だから、特に立場の高い
人たちは、公の場では使わないよ。
ケンシロウ: 立場の高い人?
少年: 校長先生が全校集会で「オレたちの学校は…」って言ったら、生徒たちは
みんなひっくり返るでしょ。
ケンシロウ: 「オレ」という表現をやめたら、オレはオレ自身を何とよべばいいのだ?
少年: 「ぼく」って言えばいいよ。
ケンシロウ: …誠実な表現だが、弱そうだ。
少年: じゃあ「わし」ならどう?
ケンシロウ: なんだか、年寄りになってしまったようだ。
少年: それなら、「拙者(せっしゃ)」なら?
ケンシロウ: おいおい、いつの時代のことばだ?
いけいけ、カタカナ、どんといけ
ケンシロウ: 話がかわるが、最近の日本語、よくわからんカタカナが、いっぱいあると思うのだが。
少年: たとえば?
ケンシロウ: 「グローバルな視点」ってなんだ?四つ葉のクローバーを見つけようとでもいうのか?
少年: 「世界規模の視点」という意味だよ。
ケンシロウ: じゃ「学校のシラバス」ってなんだ?シラけた学校のバスか?
少年: 授業計画のことさ。
ケンシロウ: 「肉と寿司のコラボ」って…肉屋で寿司を食べて「コラ、ボケ」って怒ってるのか?
少年: 共同作業のことだよ。
ケンシロウ: 「アイデンティティー」を確立しろといわれた。誰かに会いに出て行けというのか?
それともチョコレートプラネットの新しいネタか?
少年: 個性、独自性のことさ。
ケンシロウ: 「コンプライアンスを遵守する」というのもわからないぞ。こんぶの天ぷら入り、
あんずジュースのことか?
少年: 規律とか規則とかいう意味さ。
ケンシロウ: 政治家のマニフェストってのは、なんだ?冗談を、ふと真にうけた人の、ストか?
少年: 宣言書というか、声明文のことさ。
ケンシロウ: 上司のパワーハラスメントはどうだ?力ずくで恨みをはらす面々のことか?
少年: 嫌がらせ、いじめのことさ。
ケンシロウ: なんで、わざわざそんな英語を日本語に取り入れて表現するのだ?
少年: カタカナの言葉で、ある一定の価値をイメージに盛り込むのさ。
ケンシロウ: どんな?
少年: たとえば、「上司の役職の地位を利用したいじめ」と言うよりも、「パワハラ」と
表現する方が、訴える側からすると、イメージを相手に伝えやすいのさ。
これから日本に定着する言葉
ケンシロウ: 言葉はむつかしいな。
少年: そう、時とともに新しい価値を生み出していくものさ。
ケンシロウ: トキ?
少年: そのトキじゃないような気がする。
ケンシロウ: これから日本語として定着していきそうな新しい言葉はあるのか?
少年: 「東京パラリンピックに向けて、インクルーシブな社会をめざす」という表現を、
時々テレビで聞くようになったね。
ケンシロウ: インクルーシブ?なんだ、それは?
少年: 「包み込むような」という意味だよ。パラリンピックを通じて、障害のある人など
様々な人たちを包み込むことができるような社会、だれも除外することのない社会の
ことさ。
ケンシロウ: なるほど。では聞くが、差別のある、いびつな社会を何とよべばいいのだ?
少年: 胃のクルシーム社会…とでも呼ぼうか。