2010年頃だろうか。ちょっとした街道ブームがあった。
程よい運動。旅気分。知識欲も満たされる。
NHKでも街道歩きの番組があったと記憶している。
翻って現在は、Google mapのストリートビューでわざわざ現地に赴かずとも街道の景色を辿ることが出来るようになった。山道では熊も怖い(熊は昔から居たわけだけれども)。
そのせいか、当時それなりにあった探索記もアクセス不能になっているものがほとんどだ。
それでも、塚を探索していると結構街道を歩いている人を見かける。
今では「ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道;山の渓谷社」が出版されて白河までは決定版と言えるガイドブックがあるので、それ以北、東北の情報充実に注力していきます。
番号は日本橋から割り振っているので、北上するように写真を再配置中。
【写真】日本橋 [0807]
五街道の起点として幕府発足とともに発展した。運河も発達し、河岸も設置されるなど水運にも恵まれた場所である。
更新情報;2603追加
【写真】日本橋付近 [2505]
【写真】日本橋付近 [2505]
【写真】奥州道中/日光道中 [2505]
【写真】日本橋 [2505]
【写真】日本橋 [2505]
【写真】日本橋 [2505]
【写真】奥州道中/日光道中 [2505]
【写真】奥州道中/日光道中 [2505]
関東、東海の天領(幕府直轄地)の、年貢の徴収、治領民紛争治水といった所持を管轄した関東郡代の役宅跡が日本橋の近くにあった。
代官所と考えると分かりやすいだろうか。
「中毛区の歴史」HPには、「文化3年(1806年)に焼失した後、代官待ちとなって、馬喰町御用屋敷と改称されましたが、江戸の人々はこの地を永く郡代屋敷と呼んでいました」とある。
郡代屋敷は旧馬喰町4丁目の北に あったという。
【写真】東京駅 [1410]
東京駅、皇居も歩こうと思えば歩ける距離にあるので、見どころに困ることは無い。
【写真】両国国技館 [0807]
【写真】江戸東京博物館 [0807]
【写真】首都高速の橋脚 [2505]
現在の日本橋は、首都高の真下にある風景がなじみだが、首都高改良事業により構造物を地下に付け替える計画が進んでいる(日本橋区間地下化事業)。
きっかけは、首都高橋脚の老朽化だが、日本橋近辺は地下化され、景観の改善も図られる。
計画では、2035年に首都高の地下化工事が完了。切り替えを行い、地上の構造物の撤去に5年を見込んでいる。
すなわち2040年頃に事業完了となり、東京オリンピックから80年ぶりに日本橋の空が戻ることになる。
2025年に首都高八重洲線の長期通行止めと東京高速線(KK線)の廃止が行われた。通行止め期間は2035年まで。