現存しない
所在地;盛岡市
案内板;あり
塚木;なし
北緯39.40.18/東経141.09.19/AL 116m
川久保病院も最近新築され、周りもアパートやRCマンションに建替り様相は一変。付近はアスファルトに覆われているため往時の痕跡は無い。
奥州道中と稲荷街道の分岐点の南側に一里塚があった。西塚は分岐点のマンションの駐車場付近、東塚は川久保病院の北側が所在地。現在は説明板がマンション前にある。
ここから稲荷街道へ分岐するため当時も茶屋などで賑わっていた。
また、川久保からは1km程南に行った津志田にはかつて遊郭があった。大国神社のあたり。南部利済が設置させたが藩主ともども頗る評判が悪い。
現在も盆の最終日に行われている舟っこ流しが現在まで続いている理由にこの遊郭が関わっているという。文化十二(1815)年、津志田の遊郭の売れっ妓(こ)だった大時、小時ら十数人の乗った舟が、氾濫した北上川で転覆し水死したことを哀れんで町人たちが供養したのが今日の行事に受け継がれていると言われる。それまでも行事は行われていたようだが、ひとつのエピソードとして語られている。ただし、現在のような形だったかは不明である。
赤線:【奥州道中本道】 は現在通行出来ないルートも含まれています。現地に赴く際は、事前の確認をお願い致します。