【写真;北を望む】
かげぬまいちりづか
現存していない
所在地;紫波郡紫波町
案内板;なし
塚木;なし
北緯39.31.21/東経141.09.58/AL 120m
実は、ここの場所は確認出来ていない。現在農業用ため池となっている五郎沼の南側、南日詰陰沼の消防屯所付近にあるというが、痕跡がない。ここの調査は今後の課題。
ちなみに五郎沼は奥州藤原氏の血縁である五郎季衡(すえひら)が好んだ事が名前の由来。その縁からか奥州藤原氏4代泰衡の首塚から発見された蓮の種から増やした「古代ハス」(時代的には中世だが)が植えられている。
この五郎沼、国道4号に接し、かなり大きい沼だが、土手があり車で通るとほとんど気が付かない。その土手には桜が植えられている(0905頃)。
令和二年に再訪。歴史の道調査報告書を見直してみたら、地図の中に陰沼一里塚跡の位置が示されていた。
自動車販売店の向かいがその位置で、揚水紀念碑がある。西塚だが、痕跡は無い。たまたま作業していた近所のおじいさんに聞いてみたが、塚の事は知らないと言う。
少し南に馬頭観音の道標が有るが、そこも怪しい。
痕跡は無いので歴史の道調査報告書記載の場所を陰沼一里塚擬定地としておく。
【写真;馬頭観音碑/南を望む/揚水紀念碑】