JR清水川駅。
現在状況;残っていない
北緯 40.55.19
東経 141.01.28
AL 14m
国道4号線のトイレ
口広~清水川駅の間に塚があったという。(青森県「歴史の道」調査報告書奥州街道(1))
「大日本国東山道陸奥州駅路図」青森県立図書館所蔵のこの巻物は、上・中・下の3巻からなる。福島から松前の奥州道中の俯瞰図である。
作者は雅号を秦檍丸(はたあわきまる)と名乗る村上嶋之允。神官で出身は伊勢国後に幕吏となる。
「遠近の山野を真写し、駅路の産物を顕し四維を望むには、壱里塚の下に磁計を按じて方偶を定めたり。寛政十二年春 正月」との説明がある。
なお、この巻物では野辺地側から見て「口広村」の入り口に「一里塚」の表示がある。
現在は集落はあるもののやはり特徴は無く、車では気づかず通り過ぎてしまうだろう。
明暦三(1657)年津軽信英が平内を賜り、以降黒石領となり、小湊に代官所を置き土着の士族に警備をさせた。また狩場沢、土屋に番所を置いて往来を監視した。元禄四(1691)年狩場沢を藩境として定めた。 [津軽旧記]
ちなみに左下の公共トイレ駐車場には「奥州街道」の石碑が建っている。確か以前は無かったはずだが、七戸バイパスがらみで同じものを沢山作ったのだろうか。