写真;JR狩場沢駅。
現在状況;残っていない
北緯 40.54.02
東経 141.04.17
AL 21m
写真;狩場沢駅から北側の海を臨む。
低地を進んできた街道は台地上の関所があった狩場沢に至る。
地名は戦国時代から残り歴史が古い。
狩場沢駅から北側の掘差川の間に一里塚があったとされているが現存しないとされている(青森県「歴史の道」調査報告書 奥州街道(1))。
「大日本国東山道陸奥州駅路図」の図を見ると「刈和沢村」の「津軽家番所」から西へ向かい、再び海岸に下りたあたりに「一里塚」の表示がある。
ところで、大名分家には分地による場合と将軍からの所領封与による場合とがある。分知には将軍から領地朱印を交付される別御朱印頂戴の分知と本家の領地朱印の中に俸禄が記載される内分があった。黒石津軽家は内分分知で旗本格だったが、幕末に至り藩として独立している。