残っていない
柱標;なし
国道4号線の一本東側にある無量光院跡に一里塚があったという。岩手県「歴史の道」調査報告「奥州街道」によると敷地内に塚が現存し、杉が植えてあると記入されているが、実際行ってみると見当たらない。付近の木も松しかないようだ。
ネットには敷地北西の道路のあたりとする記述もあるが、確認出来ず。遺跡の説明板などは立派なものが多くあるが、全く触れられていない。相対的に平安、鎌倉時代の遺跡と較べれば江戸時代の遺跡はあまり大事にされていないのか。
この無量光院は国史跡で宇治の平等院鳳凰堂を手本とし藤原秀衡(ひでひら)が建立させたもの。手本より規模の大きい部分もあるというが、建物が残っているわけでもなく、松と礎石から往時を偲ぶほかはない。なんとなく池はかつての形状をイメージ出来る。