写真;台場跡。良く見えないかもしれないが、砲台置き場の正面をナッチャンWorldが通過中。 奥は下北半島。
現在状況;残っていない
案内板;なし(台場案内はあり、松前街道の石碑あり)
北緯 41.10.13
東経 140.38.46
AL 3m
平舘台場
写真;台場内部。キャンプ・焚き火禁止の標識が有る。
国道の両側1.5kmにわたり松並木(松原)がある。見事なものだがこの道は防風林の中に明治19年に道路を通したもので、この林の海側を奥州道中が通っていた。
寛政・文化時代(1789~1818)には異国船が出没するようになり、警備が強化されていたが、弘化四(1847)年には平舘に異国船が入港し上陸したオランダ人8名が食料を要求するなどの事件も起きるようになる。
そのため、台場を各地に建築した。そのひとつ平館の台場(砲台)跡が松並木の北にある。石崎の手前。
設置は嘉永元年(1848)。455㎡の敷地内に、高さ2m程の土塁を波打ち際に築き2mほどの間隔で松が植えられている。その間に砲台があったと思われる。砲門は7個有ったという。実際その場に立ち、大砲を想像してみると、その正面を各種船舶が行き交う。
これらは明治2年(1869)に解体されている。
塚は距離的にはこの付近だが、痕跡はない。