現存していない
所在地;岩手県北上市
案内板;柱標あり
塚木;なし
北緯 39.14.28/東経 141.06.02/AL 62m
南部藩、伊達藩の藩境を南下すると、奥州街道沿い伊達藩最北の一里塚がある。
旧国道を通り、現在の国道4号線との合流地点が近づいてくると奥州道中は東側に分かれる。この後分かれた旧道は丘を登り、やがて浄化センターに突き当たってその先には進めなくなる。
その途中、旧国道から分かれてすぐのところにそれらしい木があるので目ぼしを付けて調査する。
なにやら古い石碑がいくつか置いてあり、削れて判読が難しいが「塚」と読めるような気がする。
ただ、近所の方に聞いてみるとこれは一里塚では無いと言う。木も桜のようだ。
昭和53年「奥州街道」岩手県調査報告書では立派な木が立っている写真が写っているが、よく見てみるとこの写真の木と枝振りが同じである。おそらく同じ木だと思われる。
近所の方の言葉もあるし、古い写真が間違いということも有り得るのだが、ここを岩野目一里塚に認定します。異論のある方はご連絡ください。
なお、これが塚かは分からないが、この通りには明治天皇の訪問を御巡幸を記念する碑があることから奥州道中であることは間違いないだろう。
再び現地に行ってみると[1005]、件の古木は花を咲かせている。根元近くには以前は無かった奥州街道の案内板が立っている。これによると浄化センターから北上して来ると桜の古木で右に曲がるのが街道筋となる。
その方向を望むと遠くに新しげな柱標が見える。そちらに行ってみると平成22年設置で七里塚(一里塚)との名称がある。
地域の人々が建てたものと思われる。