北緯 38.57.39/東経 141.07.40/AL 33m
平泉の五方鎮守の神を祭った八坂神社(祇園社)を南下し、山ノ目宿との間、平泉と一関の境近くに塚があったという。
明治後は一里塚は不要なものとされ明治8年には中里村(現一関市)から中尊寺村(現平泉町)の一里塚4つが「此説無用之物に御座候得ば」この塚を取り崩し、土を道路の修繕に充てたいと届け出た者に当時の水沢県が許可を与えている。[田中喜多美「岩手県並木史」S22]
金山棚田 一関市
北の一里塚 平泉一里塚跡
北の宿場 平泉宿
南の宿場 山ノ目宿
南の一里塚 一関一里塚跡