残っていない
柱標;なし
奥州道中は折居より南約2.5kmは国道西側約100mのところを通る。現在の国道脇の山の上になり、一部旧道跡が残っているというが、今回は確認していない。
その間に一里塚があったが現在は失われている。小山村かるた屋敷前にあったというがかるた屋敷も今は無いだろう。
現在は国道よりかなり東に東北本線陸中折居駅がある。古くからの集落だが観光地としては特に見るべきものは無く、自動車では知らずに通り過ぎてしまう。
■後藤寿庵(ごとうじゅあん)
奥州市水沢区福原にかつて後藤寿庵という領主が居た。1200石で伊達政宗により藩士に取り立てられた。
元々、一族は奥州仕置で豊臣秀吉に滅ぼされた葛西氏に仕えていたというが、福原に入部するに当たり元の一族を再び集めている。彼らは、キリシタンが主だったといい、当然寿庵もキリシタンだった。政宗は知っていたが、西洋の事情を知りたいと思い当時長崎に居た寿庵を呼んだのである。
寿庵は大坂の陣では鉄砲隊の隊長として働いたが、領地に農業用水路を引いたことにより現在も名を残す。その用水路は「寿庵堰」と呼ばれ、現在も水路として利用されている。
やがて、キリスト教の弾圧が激しくなると改宗を迫られるが、追っ手が近づく前に領地から姿を消す。その後は秋田や南部領に隠れていたというが定かではない。その墓は旧東和町や北上市に擬定地がある。