残っていない(位置不明)
所在地;二戸市
案内板;なし
塚木;なし
北緯 40.17.16/東経 141.17.58/AL 109m
二戸も一里塚は残っていないため、八戸道との追分の写真を撮る。五日町に塚が有ったという。
■九戸政実の乱
東北新幹線二戸駅の北東、市役所東に九戸城跡がある。豊臣秀吉奥羽仕置により滅ぼされた九戸政実(まさざね)の居城である。
天正十八(1590)年の奥州仕置により所領を没収された葛西、大崎、和賀、稗貫の諸氏は翌年一揆を起こし最終的に鎮圧されているが、この年2月九戸政実(まさざね)も兵を挙げ信直に反旗を翻している。家臣の櫛引清長が浅水城(城主南長義)を攻め、続いて主力が七戸城(七戸家国)を攻略、家臣が一戸、又重城、苫米地城、伝法寺城を攻めるなど南部信直は三戸を逃れ田子城、月館城へ後退、劣勢となる。
6月には第2次奥州仕置軍(関白豊臣秀次大将)が京を出陣、9月には九戸城を5万の大軍が取り囲む。城は3日で陥落、政実は宮城の栗原郡三迫で処刑され、一族は滅亡している。
宮城県栗原市には政実の胴体が埋められたという九戸神社や首洗いの井戸が残っている。
写真;呑香稲荷神社/二戸パークホテル/呑香稲荷神社