写真;交番付近から南を望む。
現在状況;残っていない
案内板;なし
北緯 41.08.39
東経 140.38.29
AL 13m
交番付近
写真;磯山集落に突然松が対で現れる。
蟹田から北は海岸沿いを奥州道中が通り、下北半島も近いため常に下北半島を眺めながら進んでいく。非常に良い景色。遠くに出発前にフェリー埠頭で見たナッチャンReraが水を噴き出しながら北上中だ。
野田というか平舘の集落内が一里の距離。「大日本東山道陸奥州駅図;青森県立図書館蔵」にも野田村内に一里塚の表示があるが塚の跡はない。街道の痕もないが、松が対で残っているところが唯一の痕跡か。
船岡~磯山間は海中に没している。 磯山集落付近は旧街道のようだが蟹田と平館の境界付近は磯道でその岩は旅人のハザードとなっていた。
旧弘前藩領の奥州道中では塚は現存していないのみならず標識も設置されていない。街道自体のの石碑などはこの区間でも見かけるので、全く調査をしていないということはないのだろうが、記憶している人も少ない、と言うことなのだろう。
巻物などでは一里塚の絵が記入されているので塚は確かに存在したのだろうが、江戸時代も初期にはこの付近の整備も進んでいなかったのだろうし、塚が出来た後も元禄六年(1693)の道程検地後の移設でしばらく杭で代用する期間もあったと考えられる。
「一里塚」「一里杭」の他にも「一里山」の記述が有る書物もある。木を植えない塚もあったのだろうか。