現在状況;残っていない
案内板;なし
北緯 41.12.57
東経 140.32.37
AL 0m
海沿いの道路
海抜はついに0mを指している。気が付くと下北半島が見えたり見えなかったりしだし、常に北海道を見ながら歩くようになる。好衣月は現在は袰月と記述するが、この読みはアイヌ語由来という。
見所として、袰月海雲洞釈迦堂がある。他にも吉田松陰がらみの史跡があったような気がするが、忘れてしまった。また、ここより三厩寄りの山崎近くには海岸沿いの難所「松蔭くぐり」がある。なにも通ったのは吉田松陰だけでは無いだろうが・・・。
ウイキペディアによると吉田松陰は1830年(文政13年)生まれ。 1851年(嘉永4年)、東北地方へ遊学する際、通行手形の発行が遅れたため、肥後藩の友人である宮部鼎蔵らとの約束を守る為に通行手形無しで他藩に赴くという脱藩行為を行う。この東北遊学では、水戸で会沢正志斎、会津で日新館の見学を始め、東北の鉱山の様子等を見学。秋田藩では相馬大作事件の真相を地区住民に尋ね、津軽藩では津軽海峡を通行するという外国船を見学しようとした。
戻った後は脱藩の罪に問われて士籍剥奪・世禄没収の処分を受けた。最終的には安政の大獄で安政6年(1859年)10月27日に斬刑に処された。享年30。