小湊駅。
現在状況;残っていない
北緯 40.55.40
東経 140.57.19
AL 13m
小湊代官所跡
代官所跡の松。樹齢400年。
代官所跡より東の沼館付近に一里塚があったという。「大日本国東山道陸奥州駅路図」では標高の低い平地で建物などは何も無い場所だ。
「平内」(ひらない)の地名はアイヌ語のピラ(崖、山と山の間)とナイ(川)が由来とされており、アイヌとの交流の名残とされている。
小湊の地名は中世からのもので「津軽郡中名字」に記されている。歴史は「平内」と同じく古い。
江戸時代初期の小湊川には橋は無く「道程帳」には「広さ五間深さ一尺余 水出候ても往来之妨ニ不罷成候」とあり徒渡りでも難所ではなかったようだ。だが、後の「駅路図」の段階では橋が記され、「北行日記」でも「板橋十間斗なり」との記述がある。
「仇敵」南部藩と接しているため、南部口の番所では旅人を厳しく改めていた。
現在も地域の中心だが、余り変化は無く30年くらい前から時間が止まったような雰囲気。