西平内駅。
現在状況;残っていない
北緯 40.55.05
東経 140.54.43
AL 19m
西平内駅
国道4号線。西を望む。
奥州道中は現在の国道とは別ルートを通っていた。
青森県「歴史の道」調査報告書奥州街道(1)によると、江戸時代末の「東奥沿海日誌」には「人家三十軒斗(ばかり)。農家のミ也」と記されている。200人ばかりの人口で今の感覚では少ない気もするが江戸時代の村としては一般的とも言える。
国道4号の北側には藤沢城跡があり、古い書物にも名前があるため藤沢村の歴史は古いようである。また、藤沢入り口の坂は人形送り行事の人形を捨てた場所で「人形坂」と呼ばれていた。
なお、小湊と藤沢の間にあったという塚はやはり残っていない。
ここを過ぎると山口村に至る。山口村には「山崎大明神」があったが、大正時代に移転し、現在は「山崎神社」と呼ばれ集落の南側にある。
現在はこの付近、片側一車線の国道で、特徴は特に無い道路となっている。