写真;今別海岸の碑。
今別宿は北前船や廻米船の寄港地だった。青森を出航してからここで風待ちをし、日本海や太平洋に乗り出していた。
三厩までの街道が整備されるまではこの今別が松前藩の上陸地点だった。
1801(享和元)年伊能忠敬の第二次測量では、4月に江戸を出発。伊豆を測量した後、6月に再度江戸を出発。房総半島~いわき~松島~三陸~下北~野辺地~青森を過ぎ11月あたまに三厩まで至っている。半年掛けて東北東海岸線を測量。復路は奥州道中を南下し、1ヶ月ほどで江戸に戻っている。
既にこのころには蝦夷地にロシアが南下して来ており、警備のために奥州道中の交通量は増えている。ただ、宿場の整備は東海道などと比べ立ち遅れていたため、伊能忠敬一行も人馬の確保に苦労したようである。
写真;今別の町並み。
嘉永元年(1848)には今別や三厩に異国船が出没したため台場や陣屋が築かれた。
函館まで青森からの連絡船が運行するようになり、しばらく賑わいが見られなかったが、青函トンネル工事や新幹線工事で少しずつこの地域も注目を集め始めている。平成22年に新青森駅まで東北新幹線が延伸予定だが、その後、函館までの新幹線も既に着工している。
その青森県側の駅として今別町に奥津軽駅(仮称)が出来る予定だ。新幹線を利用する人口はこの地域、多くはなさそうだが、竜飛岬などへの観光拠点としては最適だ。東北新幹線では自然の多い海沿いの駅は他には無いからある意味貴重だ。 ちなみに新幹線駅で乗降客数が最も少ないのは岩手沼宮内駅である。