■相去御番所跡
明暦二(1656)年、伊達藩二代忠宗の治世。盛岡藩との境を守るため、相去に番所を設けるとともに軽臣(けいしん;足軽)102名を置いた。
番書は18間×25間の敷地に2棟の建物が有った。番所事務所と控え室である。
■南部伊達藩境塚 和賀
南部伊達藩境塚は奥州街道沿いのものを含み、大塚17基、挟み塚2組、小塚198基の状態の良い塚が国指定となっている。
写真は北上展勝地近くの北上民俗村のものと、和賀のもの。和賀の方は柱標と説明板は有るが、それらしい遺構は見当たらない。
民俗村のものは国道沿い(写真)と民俗村奥に塚がある。