■花巻宿から石鳥谷宿まで
花巻を出発し、北上する。江曾一里塚を過ぎると逆さひばに至る。弘法大師のいわれのある歴史のある木だ。根元の湧き水でのどを潤す。
この付近、気が付けばずっとまっすぐ松並木が続いている。新しい道らしい。更に進み疲れてくる頃に石鳥谷宿だ。
■現在の石鳥谷
奥州道中沿いで元々直線路だった国道4号線も現在はバイパスが出来、車だと余り直線路を実感することもない。このバイパスが旧奥州街道にむしろ近いというのが面白い。
■石鳥谷宿
この付近、奥州藤原氏滅亡後約400年は稗貫氏の支配下にあった。資料が散逸しているため正確にやって来た時期は不明だが、源頼朝から賜ったらしい。拠点は鳥谷崎城(花巻城)。
江戸時代初期に奥州道中の整備が始まった頃は、花巻から日詰郡山までの宿駅はなく間隔が開き過ぎていた。そこでほぼ中間の石鳥谷に駅を設けたのだが、当初は殆ど人家もない場所だったようである。
江戸時代に入ると集落が作られる。当初は好地などがある段丘上で上町と呼ばれていた。そこもそれまでは殆ど人家がなかったらしい。上町も1667年の検地の時には記述が無くなる。現在地に町場が移転したからである。
岩手石鳥谷に延長宝六(1678)年伝馬所が設置された。伝馬20頭、人足20人を常備することとされた。同時に市が10日20日30日に開催される事になり、酒屋も2軒開店する。今に続く石鳥谷宿の出現である。
■南部杜氏
岩手県石鳥谷の南部杜氏(とうじ)、酒造がらみで古くからのもののように感じられるが、集団で名乗りだしたのは明治の末からだという。江戸時代に石鳥谷に酒蔵は2件で南部藩全体でも少ないほうだった。
■菊池数馬の墓
岩手県紫波町と石鳥谷の境に菊池数馬の墓がある。紫波の犬淵村からの越境に抵抗し続け、死後も石鳥谷好地を守るため、境近くへの埋葬を望んだという。ただの偏屈親父のような気もするが、使命感からの行動だったのだろう。
■境塚
奥州道中が開かれてから築造されたらしく、意味合いとしては単なる郡境である。
■肥料相談所
好地一里塚のほぼ向かいに昭和3年3月15日から一週間肥料相談所が開設された。講師は宮澤賢治。
■杉生桜
太い杉の幹に寄生した山桜の木。5m
程の高さで切られた杉は、奥州街道の路線変更が行われた明暦四(1658)年頃のものとされる。昭和58年杉は安全確保のため上部が切り倒されている。
■逆さひば(さかさひば)
弘法大師が地面に刺した杖が、そのまま根をはり、大きくなったものと伝えられています。根元の湧き水で飲もうとした際である。
「逆さ」には成木も根元が細く、幹が太いため、杖のように逆さになったように見えたことが由来だという。
種類はヒバ科クロベ。根元は、直径2m、幹回りが4.75m。
■花巻農学校
宮澤賢治が教師を勤めたことで名が知れている。学校敷地内に「宮沢先生の家」があるという。
所在地は花巻空港東側で現在も花巻農業高校として残っている。