写真;三厩入り口。
現在状況;残っていない
北緯 41.10.48
東経 140.28.46
AL 13m
正行寺
写真;正行寺。台地を下ると三厩。
写真は今別の西はずれにある正行寺だが、ここから海まで下ると三厩である。4kmの距離で追っていくと正行寺付近が一里塚の所在地だが「大日本東山道陸奥州駅図;青森県立図書館蔵」には増川川の西に増川村と松ヶ崎村が描かれ、増川川の東側、台地に登る前に一里塚の表示がある。今で言えば三厩駅の海側か。
ところで、北海道だけではなく、津軽半島や下北半島にはアイヌの人々の村もあった。
こうした交流は、かなり古くからあり、青森の地名にもアイヌ語の名残があるものがある(平内など)。
幕末にはいろいろな人が三厩から蝦夷地へ渡っているが遠山の金さん(遠山金四郎景元(かげもと))の父親(遠山景晋(かげみち))が、幕府の役人として蝦夷地に渡っているという。彼は長崎奉行も歴任し、文政府8年(1825)異国船打ち払い令の成立に勘定奉行として大きな役割を果たした。
他には吉田松陰など。彼についてはそのうちどこかに書きたいと思っている。