二基現存
所在地;岩手県北上市成田
案内板;看板あり
塚木;あり
岩手県史跡
北緯 39.20.52/東経 141.07.48/AL 90m
個人所有地に所在。豊沢町一里塚を過ぎ南下すると、国道4号線と交差し旧道に入る。工業団地までは田舎道という感じでのどかな道が続く。
塚は工業団地北側に道路両側に2基とも残っている。高さ2.5m程と大き目の塚に樹勢のある木の状態はかなり迫力があり立派である。西塚の塚木はケヤキ。東塚は桜で後に植えられたものではないかという。県史跡。近くのバス停の名前はズバリ「一里塚」。
ネットを検索していたら昭和39年頃の調査の報告書が見つかった。かなり詳細な調査だが当時から保存状況の良さは特筆されていた。また、古い写真では二子一里塚に有るのと同じ枠の説明板が西塚に有ったが現在は無い。視界の邪魔になる等で移されたのだろうか。敷地はどちらも個人所有。
昭和39年の調査では西塚が東西14.1m、南北12.5m。塚の裾から頂部まで3m、道路からは5.5m。この上のケヤキは径1.3m、高さ20m。東塚は東西が削られているが6m、南北は11.7m。道路からの高さは5m。
令和元年の成田一里塚付近は10年前と変わっていない。
ただ、周辺部は激変しており、成田集落の北、花巻市との境界にあった北上市立成田小学校は閉校している。
また、北工業団地にはキオクシア岩手(旧東芝メモリ)の新工場が竣工した。地域経済への貢献が期待されている工場であるが、当初計画通りには拡張は進んでいないようである。
なお、成田一里塚から二子一里塚の間で平成30年に奥州街道の発掘調査が行われ、結果、歴史の道調査報告書から推定ルートが変更されている。
ただ、何故調査が行われたかというと、キオクシア岩手がらみで開発計画があったからであり、令和二年現在、すっかり更地になっている。
【写真;2009年頃の西塚/令和元年北から南を望む/北を望む】