西塚。 奥はラブホ。
現在状況;二基現存
説明板;あり
青森県指定史跡
昭和36年10月6日指定
東塚 面積132.66㎡ 高さ4.66m
上北郡七戸町大字七戸字館野47-99 個人所有
西塚 面積153.86㎡ 高さ3.45m
所在地同、所有者同
北緯 40.40.42
東経 141.10.14
AL 64m
指定事由は国道の路線変更で人目に付きづらくなっているため指定により一般の人々の認識を深めるためとある。承応元(1652)年築造。工藤重助祐道が築造奉行として構築した。
国道の西側に二基とも残り、間には街道の遺構らしきものが残る。東塚は道路工事の際削られているが、擁壁で損壊防止処置がされている。塚には杉が数本生えているが、塚木がどれかは分からない。
塚の形状も良く分かり、国道のすぐ隣のため見学しやすい。ただ、惜しむらくは隣にラブホが建っていて、塚近くの出口はホテルの通路だということだ。塚の北側にも国道からの入り口があるが、標識も小さく見落としやすい。
また、探索した際には、ガラやごみが捨てられていた。
池ノ平は嘉永6年(1853)の七戸通百姓一揆ではその集結地とされたという。
なお、この塚南の十和田市内の国道には両側に松並木が残り、駐車帯に「奥州街道」の石碑が出来ている。