写真;旭橋(南を望む)
現在状況;残っていない
位置は微妙に違うようだが、現在の旭橋とほぼ同じ所に一里塚があったという。現在は護岸がされ付近の宅地化も進んでおり、一里塚の痕跡は全く無い。
また、時期により塚の位置は変わっており初期は橋の東側、後に西岸に移されたという。「大日本東山道陸奥州駅図;青森県立図書館蔵」では馬喰町に一里塚が描かれている。
橋のある川は堤川と呼び、東側は茶屋町と今も呼ぶ。もちろん茶屋が並んでいたことが名前の由来である。西側には莨(たばこ)町、本町が並ぶ。茶屋はあったが堤川の大橋を渡ってからが青森の町と認識されていた。橋は三十三間あったという。
堤川の西岸、堤の大橋を渡ったところは「大豆坂通り」の起点でもある。松原~筒井~ヤマダ電機~総合卸センター~青森空港~浪岡町(今は青森市に合併したが)へ至り、羽州街道へ通じていた。この道は今もほとんどそのまま辿ることが出来る。
実際、2kmほど近道のため青森の住人は油川~羽州街道よりこちらを通ることも多かった。
ちなみにこの区間、7箇所に一里塚が有ったというが、残っているものは無い。