現在状況;二基現存
案内板;なし
塚木;不明
未確認
[青森県「歴史の道」調査報告書 奥州街道(1)]によると162高山一里塚の北側100mほどのところ、道の両側にはっきりと残っているとある。
西側が明瞭に残っており、東側が大きめ。両塚の離れは約3.5mという。
ただし見落としてしまっていると思われ、更に確認が必要。ただ、ここまで改めて来るにはかなりの気合がいるが・・・。車だと傷だらけになる覚悟が必要だ。
更に北側に進むと三戸(蓑が坂)と同じく高山の駕籠立場があり、展望台が有る。周りの木も大きくなり余り景色は見えないが、確かに標高が高い。278mという。明治九年の御巡幸ではここで野立が行われたという。
安達が原の鬼婆伝説
高山峠より浅水寄りの安達沢に「安達が原の鬼婆伝説」が残っており、その案内板が立っている。
その伝説のあらすじは、八幡太郎義家の家臣安達某の妻が夫を追い、この地まで来たが、夫の死を知りここに住み着く。その後、主君の病に申年申月生まれの女性の肝が効くと聞き、自分の娘を殺して肝を献上。後に後悔し、旅人と自分の戒名を記して自殺した、というもの。
話のつじつまが合っておらず、完成度は二本松の黒塚伝説に及ばないが、似たような話が残っているというのは興味深い。