【写真】奥州道中 新鹿野一里塚[1002]
しんかのいちりづか
宮城県栗原市
現況;現存
案内板;あり
塚木;不明
1002 2504加筆修正
【写真】奥州道中 新鹿野一里塚[1002]
塚と案内板が現存している。
説明板によると周囲約3.3m程でかつては両側に塚が並んでいたが、昭和初期の開墾で破壊されたという。今は説明板と塚の盛り上がりらしきものしか残っていない。
ちなみに宮城県内では往時の塚が残るのはここだけである。吉岡と大衡村にもある(あったのだが吉岡は復元で、大衡村は工業団地立地の造成で発掘されたがたその後破壊されている。
実際は、有壁宿北の伊勢堂坂一里塚を含めると現存は2か所となるが、こちらにつては有壁一里塚で触れたいと思う。
【写真】奥州道中 新鹿野一里塚[2501]
【写真】奥州道中 新鹿野一里塚[2501]
【写真】奥州道中 新鹿野一里塚[2501]
【写真】奥州道中 新鹿野一里塚[2501]
【写真】奥州道中 末野集落[2501]
新鹿野一里塚の後ろはため池がある。この付近はやや標高が高いが、北に向けて下っていく。坂を下ると末野集落だが、圃場整備が入った規模の大きい水田が並んでいる。先ほどのため池はこのためだろう。
ここまで街道筋は舗装道路と一致しているが、金流川で道は分かれる。水田で街道は途切れるが、遠くに見える新幹線近くの農家敷地につながっていた。
そこから先は十万坂だ。
【写真】奥州道中 末野集落[2501]
【写真】奥州道中 末野集落[2501]
【写真】奥州道中 末野集落[2501]
【写真】奥州道中 末野集落[2501]
【写真】奥州道中 末野集落[2501]
舗装道路沿いに「旧奥州街道と十万坂」と題した金成町時代の説明板が立っている。奥州街道を示す立札もあるが、どう見ても私有地に向いている。払い下げられたのかもしれないがさすがに侵入するのも憚られるので反対側の県道185号線側からアクセスしなおす。
ちなみにこの農家の北側から県道185号線までは旧道が残っている。冬のせいもあるが、刈り払いされており、一部を除き良く手入れされていて歩きやすい。農家側からはのぼりとなり勾配もきつい。
やがて新幹線トンネルの上を越え、しばらく歩くと道の真ん中に石碑が出現する。墓かもしれない。
更に北上するとため池と牧草地に出て県道185号線にぶつかる。
【写真】奥州道中 末野集落[2501]
【写真】奥州道中 末野集落[2501]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 県道185号線[2501]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 十万坂[2503]
【写真】奥州道中 県道185号線[2503]
【写真】奥州道中 県道185号線[2503]
【写真】奥州道中 県道185号線[2501]
合流部の県道185号線は県道だが側溝もない林道的な道。舗装はされている。
有壁宿までは明治天皇の休憩記念碑以外は林の中で特に眺望はない。
なお、増補行程記によると有壁一里塚は有壁宿の南だが、有壁宿北の肘曲がり坂に伊勢堂坂一里塚が現存している。
例によって仙台芭蕉の辻と北目町の起点の違いによるものと思われるが、正確ないわれは不明。
【写真】奥州道中 県道185号線[2501]
【写真】奥州道中 県道185号線[2501]
【写真】奥州道中 明治天皇御野立休憩所[2501]
【写真】奥州道中 明治天皇御野立休憩所[2501]
【写真】奥州道中 県道185号線[2501]
【写真】奥州道中 県道185号線[2501]