二基現存
案内板;あり
塚木;あり
東塚 岩手町御堂
径10×11.2m、高さ2.8m
西塚 中山字上家向
10.6×12.2m、高さ1.6m
岩手県指定史跡/S60.5.4指定
北緯 40.02.50/東経 141.14.47/AL 447m
東側の御堂は岩手町に属し、西塚は一戸の馬羽松に所在している。状態は良い。
割と最近まで未舗装の砂利道だったが現在は舗装されている。馬羽松側に登ると遠景がすばらしい。御巡幸の際に切り下げがあり、道路より高いところに塚がある。
この一里塚の南手前は北上川の源流とされる弓弭(ゆげ)の泉がある御堂観音堂が所在している。大同二年(807)坂上田村麻呂が建立したといわれる。もちろん何度か触れているが坂上田村麻呂は盛岡付近の志波城までしか来ていないと思われるので伝説の類だろう。
弓弭の泉は天喜五年(1057)安倍頼時征伐のため、源頼義、義家父子がこの地に至り、安倍氏征伐もはかどらず、救世祈念の上、義家が弓弭を持って岩に穴を開け泉を噴出させたといわれ、今も清水が湧き出ている。柄杓もあるので飲用可能だろう。
また、境内には樹齢1200余年という杉の大木がある。ただし、途中から折れており、幹の下部のみが残る。明治天皇の来所の碑もある。
道路の反対側には駐車場もあり、観光的にも見所のひとつ。