善知鳥(うとう)神社の入り口付近の歩道に、青森市道路元標がある。地元ではここが奥州道中の終点とされていて丁寧に「奥州街道終点記念の碑」まである。一般的には三厩までを奥州道中と呼んでいるはずだが・・・・。
奥州街道の終点はさまざまな説がある。
江戸時代初期に著された「幕府撰慶長日本図」によると、津軽藩の出張機関が置かれていた青森市安方地域が終点とされているという。
との記述をネットで見つけたのであながち根拠の無いことではないだろう。
写真;奥州街道終点記念の碑
ここが終点として先の三厩(みんまや)までは松前街道と呼んでいる。仙台以北を松前街道と呼ぶ地域もあるが、このホームページでは三厩までを奥州道中として探索を続けます。
元禄青森町明細絵図。この絵図は明治27年(1894年)に所蔵者の先祖が模写したもので、その原図は元禄のころ(1688~1704年)より前に作られ、青森町年寄(まちどしより)村井新助が所持していたもの。 これによると善知鳥(うとう)の森は、一画が善知鳥沼の中洲の感じで描かれ、中ほどに弁才天が祭られている。現在の大鳥居の真向かいには町奉行所、鳥居を出て駐車場左端には高札場(こうさつば)(禁令などを板札に書き掲示するところ)がある。