現在状況;二基現存
案内板;あり
塚木;杉
北緯 40.20.19/東経 141.15.50/AL 153m
蓑ヶ坂案内板
写真;西塚
初回訪問(2008年)
明治天皇巡幸碑あり。明治天皇が駕籠から降りて景色を眺めた程絶景なため駕籠立場と名付けられたという。坂を下り始めたところに両側一里塚が現存している。 と、[歴史の道報告書]にあるので行ってみた。
釜沢の旧道の坂を上ったところに蓑ヶ坂の案内板がある。車で左に林道を曲がっていったがその道はどうやら違う。蓑ヶ坂案内板から左に曲がらずに真っ直ぐ進んだ道が目的の道の様子。
ただしその道、さすがに車では入れないため時間のあるときに再訪することとする。地図では案内板からそう距離のないところに駕籠立場及び一里塚があるはず。
訪問2度目(2008年)
改めて訪問してみたが(0810)、蓑ヶ坂案内板前の林道は道路工事中。側溝と舗装工事のようだ。今回は徒歩で右の道を進む。土石流防止の砂防ダムがある沢(「蓑ヶ沢」と呼ばれていてかつては小橋があったという)を縫うように登っていく。斜度30度くらいの急坂でスキー場なら上級コースだ。[三戸通神社仏閣地名書上帳;安政三年(1856)三戸町立歴史民俗資料館蔵]には「登り六丁程」(今なら約600m)とある。
この道はしばらく通行不可能だったものを地元有志の方々が整えたと聞いたことがある。このときもしっかり枝や草を払ってあり、通りやすかった。
人が通るのがやっとの狭い道を進むとやがて展望台に至る。ここが駕籠立場。標高180mという。苦労して登ってきただけあり、蛇行した馬淵川の絶景が眼下に広がる。ベンチなどがありきれいに整備されている。
ここから道が下るがこちら側は車が通れる道だ(入り口は確認していないが)。200m程先の一度下りきったリンゴ畑がある辺りが駕籠立場一里塚だ。
両塚が現存だが既存の街道を掘り下げたのか塚は道路から6mも上にある。柱標が無ければとてもこれが塚とは気が付かないだろう。形状自体はしっかり残っている。両塚の間隔は5m程。東塚の後方には同じような盛土があり、享和三年(1803)銘の小型の石祠があるというが、確認出来なかった。
[南部領内総絵図;正保四年(1647)盛岡中央公民館蔵]にはこの一里塚は既に描かれている。
街道東側には一里小屋(一里状(藩の御用状)の継立施設)があったが今は不明。[奥筋行程記]には「松原ヲ段々行一里小家アリ」とある。
このときはいかなかったが、一里塚の先は左右に分かれ左が街道だという。この道はやがて国道4号に突き当たり行き止まる。