現在状況;一基現存
十和田市指定史跡
説明板;あり
北緯 40.35.56
東経 141.13.34
AL 68m
槻(つき)の木が植えられている。槻とは欅(けやき)の古い呼び名。塚は西側現存。
ファミレスとドラッグストアの間に一基現存。数年前までの写真では生きていた木がすっかり枯れて幹だけしか残っていない。雪で折れたのだろうか。岩手県の盛岡市の上田一里塚も数年前に松が風で倒れたが、生きている木だけにこうしたこともあり得るだろう。
東側の塚は明治18年(1885)に現在の旧国道を建設する際に破壊されたという。塚の築造は慶長9年(1604)とされている。幕末には北側に新塚が築かれ、一本木一里塚は「古塚」と呼ばれ村の境塚として利用されていた。新塚は現在残っていない。
現在の十和田市街地は安政2年(1855)新渡戸伝(つとう)、十次郎の父子の区画が始まりである。それ以前は七戸まで三本木原と呼ばれる平原だった。