【写真】奥州道中 [2503]
現況;残っていない?
案内板;無し
塚木;不明
北緯
東経
AL
1002 2504加筆修正
【写真】奥州道中 県道185号線[2501]
以前訪問した際には一里塚の位置は確認できなかったが、「増補行程記」および「仙台領国絵図」では本陣跡(有壁宿)より南側に一里塚が描かれている。
また、宮城県「歴史の道調査報告書」では「宿入り口近くの一里塚(仙台寄り入口から約300メートル)、札場は確認できる」との記述がある。
現地に行ってみると痕跡は無いが、有壁宿入り口から約300m南には庚申塔などが集められた広場がある。
ここを有壁一里塚跡として写真を撮る。
【写真】奥州道中 [2503]
ところで、宮城県「歴史の道調査報告書」では肘曲がり坂に一里塚があるともされている。新道との分岐点から100m程で「高さ5m、幅10m。文政七年の大神宮、文政十二年の山神、弘化四年の二十三夜供養碑、万延元年の馬頭観音碑がある」とあり具体的だ。
また石碑は5mも上だと見えなくなるが明治天皇御巡幸で道路の掘削を行ったためと考えられる。仙台藩の起点が変わった事も影響しているのではないだろうか[1002]。
そこは現在伊勢堂坂一里塚と呼ばれており、次のページで紹介したい。
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 有壁宿[2503]
庚申塔などが集められた広場をスタートすると300m程で有壁宿南柵に至る。
そこから有壁宿だが、JR東北本線と県道187号大門有壁線で分断されている印象。
有馬川を越えると有壁本町となりそこに有壁本陣がある。貴重な本陣建物が現存しているが、確か震災以降見学禁止となっており、現在も中を見ることはできない。
この付近から既に上り坂となり、円通山 観音寺を過ぎるといよいよ肘曲がり坂である。
舗装道路がカーブする手前に登山口のように分岐案内がある。道路の向かい側にはちょっとしたスペースもあり、少しなら車も止められるかも。
既に山道だが程なく伊勢堂坂一里塚が見えてくる。
ここから岩手県の鬼死骸一里塚までは3km以上旧道が続き、車では通り抜けられない難所である。
【写真】奥州道中 有壁宿[2503]
【写真】奥州道中 県道187号有壁宿交差点[1002]
【写真】奥州道中 県道187号有壁宿交差点[2501]
【写真】奥州道中 県道187号有壁宿交差点[2501]
【写真】奥州道中 有壁宿[2501]
【写真】奥州道中 有壁宿[2501]
【写真】奥州道中 有壁宿[2501]
【写真】奥州道中 有壁本陣[2501]
【写真】奥州道中 有壁本陣[2501]
【写真】奥州道中 有壁本陣[2501]
【写真】奥州道中 有壁宿[2501]
【写真】奥州道中 有壁宿円通山観音寺[2501]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 肘曲がり坂[2503]
【写真】奥州道中 肘曲がり坂[2503]
【写真】奥州道中 肘曲がり坂[2503]
【写真】奥州道中 肘曲がり坂[2503]