写真;JR蓬田駅。
現在状況;残っていない
北緯 40.58.10
東経 140.39.17
AL 16m
JR蓬田駅
この付近国道280号線と奥州道中は重なっているが阿弥陀川村があったところには国道東側に並行して街道の遺構が残っているという。今も残っているかは確認していない。
写真; 蓬田駅から北を望む。
■蝦夷錦(えぞにしき)
かつて、アイヌは北方のツングース系民族とも交流があり、彼らと交易した。ツングース系民族は大陸の中華王朝と交流があったため、中華文化がツングース民族を介してアイヌにも伝わった。その代表的な例が蝦夷錦である。
江戸時代、アイヌは松前藩の半支配下に置かれ、不平等な交易をさせられたが、その交易の中で中華王朝の清から、ツングース民族を介してアイヌにもたらされた満州風の錦の衣服が、松前藩の手に入った。当時の参勤交代の際、松前の大名が錦を着て将軍に謁見すると、将軍はその錦をたいそう気に入り、以降、松前藩は錦を幕府に献上した。
その際、松前藩はこれが清からもたらされたものだということを知っていたが、それを隠して蝦夷錦と呼び、錦の輸入を独占した。
(ウイキぺディア)
綿(にしき)と呼ばれたが、これは着物といった意味で実物は綿ではなく絹織物。また、松前ではわざわざ地元産を「蝦夷の錦」とは呼んでおらず、「蝦夷錦」の呼称は江戸での呼び名である。