【写真:金成歴史民俗資料館】
■沢辺宿から金成宿まで
金成付近で奥州街道は再び国道4号線に近づいてくる。幕末から明治にかけて陶器が焼かれていた新田焼釜跡を過ぎると金成宿に入る。沢辺宿からの距離は余り無い。現在の感覚では同じ町と言っても良い位だ。
【写真:ハリストロシヤ正教会.。思ったより小さい】
上町(二町四十間)、中町(二町三十四間)、下町(二町十四間)。中町が中心。沢辺宿と交代で月の後半を伝馬役を負担している。
現在の公民館が金成宿本陣跡である。苗字帯刀が許された菅原家が本陣を勤めた。代官所もありここはケヤキ会館となっている。
明治20年建築の金成小学校跡(歴史民俗資料館)やハリストロシヤ正教会が見所。
宮城県栗原市の金成宿の代官所管轄は三迫二十九ケ村流郷で、今の花泉、永井、奈良坂、涌津。勿論代官の仕事は年貢の徴収だ。なお本陣は菅原家で大胆入でもあった。大胆入は代官の下検断の上。
車で行ってみたが歴史民俗資料館などを探しているうちにあっという間に通り過ぎてしまった。南北には余り長くないようだ。