【写真】滝川一里塚跡 [2502]
読み;たきかわいちりづかあと
所在地;福島県伊達郡国見町
状況;残っていない
案内板;なし
塚木;不明
大きさ;径 / 高さ
指定;
位置;北緯 /東経 /AL
更新情報;2502
【写真】滝川一里塚跡 [2502]
文化財センターで聞いたところ、写真の付近に一里塚があったという。
払い下げられた一里塚は多くの場合、畑などにするために破壊されたという。
現地も特に案内は無い。
【写真】滝川一里塚跡 [2502]
旧道の東側に国道4号線バイパスが整備されている。新しく立派な道路なので最近の開通なのだろう。程なく国道を離れるが、すぐに硯石山が見えてくる。
見晴らしは良いが、硯石山は街道筋からは少し外れている。
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
現地の説明板によると、この付近には、源義経・弁慶の主従伝説がいくつか残っているという。
ここもそのひとつで、硯石山の頂上にある岩に穿たれた穴に水が枯れることなくたまっており、義経が軍勢を集めた際、弁慶がここの水を使い義経へ到着の書状をしたためたという。
また、西側に流れる滝川には弁慶の踵清水、阿津賀志山には義経の腰掛松といった名所がある。
この山、付近の平原を一望できる立地である。
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
街道は弁慶の硯石を望みながら国道4号線を進む。ここまで旧道は4号線西側を通っているが、交差し、東側に分かれる。
国見町文化財センターあつかし歴史館(廃校を利用)を過ぎ、再び国道4号線の西側に出ると貝田宿である。
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 阿津賀志山防塁跡[2502]
【写真】奥州道中 阿津賀志山防塁跡[2502]
【写真】奥州道中 阿津賀志山防塁跡[2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】国見町文化財センターあつかし歴史館 [2502]
【写真】国見町文化財センターあつかし歴史館 [2502]
【写真】国見町文化財センターあつかし歴史館 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 貝田宿 [2410]
【写真】奥州道中 [2410]
【写真】奥州道中 貝田宿説明板 [2410]
【写真】奥州道中 貝田宿説明板 [2410]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2410]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 阿津賀志山防塁跡[2502]
「あつかしやま」と呼ぶ。
阿津賀志山の戦いをネットで検索すると
「1189年(文治5年)に、福島県伊達郡(現在の福島県国見町)にある阿津賀志山で繰り広げられた戦いです。源頼朝が率いる鎌倉軍と、奥州藤原氏(特に藤原泰衡)との間で戦われ、奥州藤原氏の滅亡を招きました」
とある。
古戦場の説明板は国道の西側にあるが、奥州街道沿いのこの場所は防塁跡である。
【写真】奥州道中 阿津賀志山防塁跡[2502]
【写真】奥州道中 阿津賀志山防塁跡[2502]