JR小湊駅近くに平内町歴史民俗資料館がある。その付近は代官所があった所で樹齢400年の松や更に古いケヤキが残る。
明暦二年(1656)、津軽信英が5000石を分知され、支配するようになると代官所が置かれた。北方警備との兼ね合いで文化六年(1809)には1万石の大名となり、黒石藩が成立する。
いわば、津軽藩の分家支藩で、跡目争いの後分裂した八戸藩とは事情が異なり宗家弘前藩とのつながりは深い。
拠点は黒石陣屋で平内町は飛び地に当たる。奥州道中沿いでは野辺地藩境塚から土屋御番所を過ぎ鍵懸坂までである。
なお、「大日本国東山道陸奥州駅路図」では小湊宿は「平内駅」と表示されている。戸数は150で「野内駅」まで四里八丁。
野辺地宿から小湊宿まで
野辺地宿を出、馬門村を西進すると「四ッ森」と呼ばれた藩境塚に至る。距離は三十三丁十八間。途中、盛岡藩の番所がある。ここまでは海沿いの砂浜を歩くが藩境塚を過ぎた辺りから標高が高くなり内陸に入る。
「刈和沢村」で今度は黒石藩の番所を通らなければならない。南部からの旅人はしっかりと検分されただろう。再び標高を下げ、小湊宿に至る。天気が良ければ陸奥湾の眺めは最高だったろう。
なお、付近の街道は松の並木が整備されていた。今でも一部残っている。