八幡一里塚跡
現況;残っていない
案内板;なし
北緯 39.11.05/東経 141.07.41/AL 53m
奥州市埋蔵文化財調査センターで聞いてみたところ胆沢川に掛かる再巡橋(さいじゅんばし)の南側すぐにあったが今は何もないとの事。増補行程記の絵を見ても川のすぐ近く八幡神社からはかなり北の位置に一里塚の絵がある。
少し南下すると「三代清水」の案内板がある。坂上田村麻呂、源頼義、源義家が飲用したため「三代」清水と呼ぶそうだ。胆沢城築造当時から有った清水と言うほどの意味であろう。
その近くの方に一里塚について聞いてみたが、どこにあったかは分からないという。
ただしその家の建物は江戸時代からあり、二階を往来する人々の休憩所として商売していたとの事。また、40年ほど前までは松並木がたくさん残っていたが、旧国道の拡幅で次々伐採されていったなど興味深い話を聞くことが出来た。
場所の完全な確定はできなかったが、三ヶ尻一里塚からの距離から見ても、再巡橋から八幡神社の間に有ったことは間違いないだろう。
八幡神社の南から埋蔵物センター、東の北上川からJR東北本線の間の範囲は坂上田村麻呂が造営させた胆沢城跡(国史跡)で、遺跡上を奥州道中が通っている。