竹駒神社一の鳥居。
■槻木宿から岩沼宿まで
槻木宿を出て北上すると右手に見える川は阿武隈川だ。いつの間にか白石川が合流している。往時の旅人は阿武隈川を眺めながら歩を進めたと思われるが、少しずつ川から離れ岩沼宿に近づいていく。
途中岩沼一里塚付近に東武(当竹;とうたけ)神社を参拝し、更に北上。この付近は既に岩沼宿である。まもなく竹駒神社に至る。
■岩沼宿
北町、中町、南町、新町と四町でなる宿場。
家数250軒。仙台~水戸~江戸の江戸浜街道の分岐点。
中町検断屋敷、南町検断屋敷があった。うち南検断屋敷は本陣も兼ねていた。ここは長屋門が残っている。
相原麹屋が中町検断屋敷で脇本陣を兼ねていた。北町にも検断屋敷があったとの資料もある。更に安永六(1777)年には4人の検断がいたとの記録がある。
北上すると、宿の入り口近くには伊達家に庇護された竹駒神社がある。この神社は日本三稲荷のひとつ。
江戸時代は馬市も立ったという。
現在も町中には長屋門に蔵作りの商家が多く残っている。岩沼からJR常磐線が分岐している。
竹駒神社随身門(桜門)。
本陣は南町の八島家。仙台領内には30の本陣があった。
岩沼本陣は既に崩れかけた土蔵を残すのみであった。
八島家所蔵の古文書には、正保年間(1644~47)から安永年間(1772~80)から7代に渡って本陣を勤めたという記録の他、それ以前の御用を記した書付も残っている事から、正保年間以前からの名家である。代々検断も勤めている。
この本陣入口の門が長屋門と呼ばれ、左右に検断長屋が続いていた。上部は城のやぐら門のような突き上げ2階となっている。
本陣は幕末頃焼失したらしい。長屋門は藩主伊達家から見舞いとしてもらった資材で建てたという。
竹駒神社社殿。 「写真提供:宮城県観光課」
岩沼は竹駒神社の門前町であると同時に陸海両路の合流点であった。阿武隈川を通じて海路は亘理地方に通じていた。
だから藤波は船着き場で御倉があり、荒浜(亘理)には御城米倉庫、浦崎には御膳肴御仕込所があって交通は頻繁であった。五十余匹の馬が用意されていた。旅籠と茶屋も多く、荷問屋も馬宿もあった。
仙台領内で遊女街は伊達騒動まで弓の町や連坊小路にあったが、騒動以後は幕府への遠慮もあって城下から姿を消し、塩釜と石巻の船着き場を除いて遊女を置くことを許されなかった。
しかし、明治になって官軍が宿舎に無理難題を吹きかけて暴れ、旅籠は特に被害を受けたので、仙台国分町の旅籠経営者一同から、遊女抱え置きを許されたき旨藩に願い出たので、明治二年仙台とともに岩沼、荒浜、古川(志田郡)にも許可された。
遊女屋、茶屋、旅籠屋については「岩沼物語」佐々木喜一郎著に詳しい。
二木の松史跡公園から二木の松を望む。
武隈の二木(ふたき)の松も宿駅に関係がある。歌枕として詠歌の数に於いて屈指といわれる名木である。
この松は南館下にあるが、普通二木と呼んでいるようだ。歌集に現れだしたのは平安時代からで、元禄二(1689)年松尾芭蕉が
桜より 松は二木を 三月越し
とよんでいる。
枯れて植え替えすること7本目の松だという。
古内主膳が城主となった貞享四(1687)年以降明治維新まで、古内家が城主を勤めている。
竹駒神社馬事博物館。
■竹駒神社
承和9年(842)、参議小野篁(おののたかむら)が陸奥守として着任した際に、奥州鎮護を祈願して創建されたという。日本三稲荷のひとつを名乗る。
竹駒神社の以前の社殿は仙台藩五代藩主伊達吉村によって造営されたものが平成2(1990)年に焼失、平成6年に再建されている。
一の鳥居をくぐり、社殿に向かうと随身門(桜門)をくぐる(平成2年岩沼市指定文化財)。文化九(1812年)建築。
更に社殿側には唐門がある。天保十三(1842)年建築でやはり市指定文化財。唐破風造りの特徴的な門。
日本三稲荷と名乗るだけあり竹駒神社はなるほど荘厳な雰囲気が漂っていた。街道筋から西に曲がると鳥居が見えてくる。周りは土産物屋があり、門前町の雰囲気がある。隣には馬事博物館もある。西に向かって長い敷地で奥の鳥居の先に神社が見えて来る。
この地では以前馬市が立っていた事もあり現在馬事博物館がある。豊臣秀吉の甲冑や伊達政宗像が展示されているが。開館は昭和14年と日中戦争中だ。戦時中だけあり馬を重視したのだろうか。
■二木(ふたき)の松
二木の松はかつて「武隈の松」と呼ばれており古くからある歌枕。根元から二本に分かれた松。岩沼市内の武隈にある武隈明神(現在の竹駒神社)にあった。
現在の松は7代目とのことで、神社とは少し離れた場所に生えている。幹が分かれた松が見つかると移植している。根元の二木の松史跡公園内にもう1本幹が分かれた松がある。将来は8代目となるのだろうか。
ちなみに芭蕉が見たのは5代目だったらしい。
「桜より 松は二木を 三月越し 」
岩沼市文化財。参照http://www.bashouan.com/plTakekumamatu.htm
■現代の岩沼宿
今は東武神社付近よりバイパス付近が発展しているか。
検断屋敷を探して車を走らせるが看板は見たものの見逃したまま通り過ぎてしまった。