七戸城跡(国指定);根城南部第五代の南部政長の築城とも伝えられている。昭和16年(1941年)国の史跡指定を受け、現在その一部は都市公園として整備されて利用されている。
なお、2008年5月27日七戸城東門が完成し、開門式が行われた。幅6メートル、高さ7メートル、奥行き3メートル。建材には七戸バイパス工事で伐採された奥州道中の松が利用されている。
また、戊辰戦争の戦後処理で明治の一時期、ごく短期間だが七戸藩庁が置かれている。
七戸藩は文政2(1819)年、5000石の南部信隣(のぶちか)が、宗家の盛岡藩主南部利敬(としたか)から蔵米6000石を加増されて諸侯に列したのがはじめ。書類上のみで実体領地は当初は無かったようである。また、藩主も定府(江戸定住)である。
そのため江戸時代には盛岡新田藩と呼ばれていた。