四、需要から見た「要求される教員像」
なぜ、サブカル専門の専任教員は必要ないのでしょうか。対応可能とはいえ、専門外のテーマの卒業論文の指導はなかなか大変です。専門教員を雇えば、需要のある科目を、専任がカバーすることもできます。(非常勤講師は何らかの理由でやめてしまうことも多く、科目の継続性を考えるならば専任でコマを埋めるほうが学科運営上は安定します。)それでもなお、サブカル専門教員の雇用拡大へとはつながっていきません。なぜでしょうか。
実際にサブカル研究をしている人の、研究職採用パターンを探るところから始めてみましょう。
サブカル研究をしているのだから、サブカル専門学部に就職が決まるのが、最も幸福なパターンです。しかし、サブカル専門学部なんてものは、ごくごく少数です。しかも、研究者は一度職が決まると、そんなに簡単に移動したりはしません。ましてサブカルなんてのはポスト数の少ない分野なのですから。そうそう空きなど生じません。
そのため、通常は、ごくごく一般的な学科の「(最近需要が少しある)現代文化“も”」担当できる教員として、採用されるのを狙うことになります。
しかし、サブカル専門を前面に押し出す研究者というのは、そういう公募では大抵採用されません。その理由は、
変り種だけの講義しか持たなくてよい学科などほぼ存在しない
からです。
大学教員は、授業負担の少ない教員でも週5コマ、私学で多いところならば10コマ程度は持ちます。平均では7コマ程度だといわれていますが、その7コマは、どんな科目なのでしょうか。
例えば、日本文学科に採用された場合、サブカル担当者として2~3コマはサブカル系の科目になるでしょう。では残りの4コマは何を担当するのでしょうか。当然、ごく普通の日本文学系の科目です。たとえば、日本文学概説とか日本文学演習とか、日本文学講義とか・・・あなたはその講義をこなすことができるでしょうか。これは社会学系でも、文化人類学系でも、日本文化系でも同様の問題が生じます。
つまり、その採用される学科の一般的な科目が持てなければ、お荷物確定の極めて採りにくい人材ということになるのです。
私は現代文化が専門です、これにかけては超凄いんです。
マジ凄いんッス。マジぱねェッス。
と言ったところで、そんな使い勝手の悪い教員を雇えるのは、相当大規模の学科だけです。しかも、その大規模学科にしても、そういう人(それ“だけ”を専門とする人)は、一人いれば十分で、二人は要りません。※
このタイプのサブカル研究者をサブカル“だけ”しか持てない教員ということで、「だけ型」と呼ぶことにしましょう。
※ ちなみに、私の所属する学科規模は中程度であり、人員構成的に「だけ型」の教員を取る余裕はありません。
また、サブカル“も”やっている私がいるので、似たような条件の人材をもう一人採りたいとも思いません。(※ 2015年頃の状況)
もちろん、「だけ型」は、「他“も”出来るんです系=も型」よりは、サブカル研究に関して頭半分出ていることも多いでしょう。しかし、サブカル専門学部ではないので、そこまでの優秀さは求められていません。しかも、学科改編でも生じた場合は、だけ型は即「お荷物」確定になります
学者としての生き方の問題にも関わってくるのですが、だけ型、つまりサブカル特化型は狙える学部(学科)がかなり狭くなっていることは確かです。
これを踏まえるならば、
まず、
所属(しようと)する正統的な科目の講義が持てること。
その上で、
私はこういう変化球“も”投げれますよ。
という状態にしておくことが望ましいと考えます。