二、サブカル教員の需要の現状
まず、サブカル教員の需要はどのようなものか、について話をしてみたいと思います。価値があろうとも、需要が無ければそれまでであり、価値が無くても、需要があれば売れる。それは研究者でも同じです。※
自分達が食おうと思っている研究分野の需要すら分からないのでは話になりません。まずはそのことから話をしたいと思います。
※ 例えば、名工の手による一刀彫の熊の彫像(しかも無駄にデカイ)は、たとえ高価で芸術的価値があると分かっていても、
置き場所に困るだけなので普通は買わないと思います。くれると言われても、おそらく断るでしょう。
逆に、ただのゴミの部類に属する雑貨が、何かのブームで大量に売れたり・・・
研究者の需要というのは、そこまでいい加減なものでもありませんが、需要なんてのはその程度のものでもあるのです。
では、そのサブカル研究者の現在(2014年頃)の需要を端的に記すならば、こうなります。
サブカル研究者は欲しい。しかし、要らない。
・・・これが、現状となります。いきなり、矛盾しまくりの禅語の様な言葉から始めましたが、これには理由があります。
日本文化でも、日本文学でも、社会学でも、文化人類学でも、サブカル系が担当できる教員は貴重です。実は、喉から手が出るほど欲しいのです。
なぜならば、どんな学科であれ、「学生からのサブカル研究に対する需要は年々増えており、サブカルをきちんと担当できる教員が欲しい」のは事実だからです。
そして、サブカル研究をしている研究者というのは極めて少数であり、とても貴重な存在なのです。取り合いが起きていても不思議ではありません。ところがそんなことは起きていません。それはなぜか。
それは、「サブカルを担当できる教員が欲しい」という事実がある、その一方で、「サブカルなんてものに興味を示すのは、(増えているとはいえ)あくまで一部の学生である」という現状もあるからなのです。
これがポイントなのです。