五、生き残るための布石
所属(しようと)する正統的な科目の講義が持てること。
その上で、
私はこういう変化球“も”投げれますよ。
という状態にしておくことが望ましいと言いましたが、サブカル研究者といっても、出身分野はそれぞれ異なるため、正統的な科目が何かはやはり異なると思います。
その差異を踏まえた上での発言ですが、まずは
自分の所属する分野のスタンダードな科目が持てるという証明
をした方がよいでしょう。
そして、その証明方法とは、結局のところ、
スタンダードな研究テーマの論文“も”書く
ということになると思います。スタンダードな論文を書いておけば、スタンダードな科目の非常勤も回ってきます。その教育歴と業績(論文)があれば、
「サブカル“だけ”専門教員」ではない
ことの証明としては十分です。
また、スタンダードな研究をするということは、その研究が評価されれば、そちらでの就職も狙えることを意味します。
また、サブカル研究をしているのだから、サブカル専門学部に就職が決まるのが、最も幸福なわけですが、仮に、専門教員を大量にほしがる特殊な学科に所属できたとしても、その手の学科は、流行り廃りが激しく、いつ学科の改編改組が起きるか分かりません。
例えば、大学で現代文化学部ゴスロリ学科なんてものができると思いますか?たとえ、既存学科内に特設コースのようなものが作られたとしても、設立10年後はどうなっているか怪しいところです。
将来、学科やコースの改編が起きた場合でも、もし完全に専任としての採用であれば、配置換えなどで、(多少邪魔者扱いされながらも)ご飯を食べていくことはできるでしょう。ただし、サブカル以外の科目を持たされたり、所属学科に関係する論文を出すようにとの指示(命令)は、ほぼ間違いなく出ます。
一方、この手の学科に多く見られる任期制の教員だったならばどうでしょう。おそらく容赦なく切られます。この時でも、或る程度、幅を持った専門であれば、新設学部(学科)や既存の学部(学科)で、再雇用してもらえる可能性は高いわけです。
ただでさえ食いにくい分野なのだから、自分で飯を食う手段を広げておくのは当然のことだろうと私は考えています。
最後に、奮起を促す意味も込めて、少し煽って締めたいと思います。
一般の研究者が、自分の研究分野の応用でサブカルの卒論指導ができるならば、その逆もアリです。サブカル研究者が、スタンダードな研究の一本や二本書くことも出来るはずです。
スタンダードな研究が出来ないは甘え
或いは
本当は研究能力が無い(研究できないので、人の少ないサブカルに逃げた)
かです。
俺たちは、そんなんじゃないだろ!「う~ん・・・実に面白い・・・」って唸らせてやろうぜ。