写真;今別郵便局。
現在状況;残っていない
案内板;なし
写真;今別東の今別海岸。
「大日本東山道陸奥州駅図;青森県立図書館蔵」には今別宿の手前(東側)に一本木村があり、その中に一里塚の表示がある。今別川より東。
痕跡はもちろんない。今別に入る前今別海岸の碑からはしばらく海沿いを道が通る。奥州道中はこの道より山側を通っていたようだ。
源義経北行(ほっこう)伝説(1)
岩手県の平泉の高館で義経は藤原泰衡の手のものに攻め込まれ自害した、というのが通説だ。
しかし、「成吉思汗ハ源義経也」(1929)で小谷部全一郎(おやべぜんいちろう)は義経チンギス・ハン説を世に問い、喧々諤々の議論が展開された。世間的にかなり話題になり、大陸に攻め込もうという日本の時代背景にもマッチし、広く受け入れられたという。
それによると、平泉から東に向かい大東~釜石鵜住居~大槌~山田~宮古~田老~岩泉と三陸海岸を進み、八戸へ。野辺地~青森~蟹田から十三湊(とさみなと)を経由し、三厩~竜飛へ至る。そこから海路で松前へ。蝦夷地に入ってからは樺太~黒龍江沿いを進みシベリアへ。そこからモンゴルまでなので雄大な話だ。