写真;追分碑上の塚擬定地。
現在状況;残っていない。
説明板;なし
北緯 40.31.55
東経 141.17.27
AL 109m
写真;追分石。 左は奥州街道の柱標。
農道との分岐点にわずかに塚が残っている、とされているが、宅地化で近年消滅した模様。 と青森県「歴史の道」調査報告書 奥州街道(1)にはある。
ほとんど消えているが奥州街道の碑があるところ、奥が盛り上がり塚っぽいと言えば塚っぽい。近所の人に聞いてみると碑の脇の石の所がそうだという。確かに何か彫ってあるが判然としない。場所はここで良いようだが・・・。場所は五戸高校を登ったところ。
だが、青森県「歴史の道」調査報告書 奥州街道(1)を精査すると、この石は十和田山への追分石のようで、すると200m程登った所にある坂の頂上の右に折れる農道の正面に塚が有ることになる。付近は斎場や学校が出来ている。また、地名はここまで来ると「大学沢」に近くなる。
なお、昭和44年頃まではもう一方の塚もあったという。
なお、五戸には戊辰戦争後一時斗南藩の藩庁が置かれた。