【写真】鍋掛一里塚 [2502]
読み;なべかけいちりづかあと
所在地;栃木県那須塩原市
状況;北塚現存(復元)
案内板;あり
塚木;無し
大きさ;径 / 高さ
指定;
位置;北緯 /東経 /AL
更新情報;2511
【写真】鍋掛一里塚 [2502]
「ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道;山の渓谷社」によると、「元は愛宕峠の頂上付近にあったが道路改修により両塚とも消滅、北塚が擁壁上に復元されている。江戸日本橋より四十里目」とある。
現地案内板には奥州街道四十一番目と記されている。
他にも「野間の大野家文書」には、慶長九年甲辰(1604)に築かれたという記録が残っている。もとは、ここより約11メートルほど東側にあったが道路の拡張工事等により現在地に移された(平成6年3月)。
また、かつては街道の南側にも塚があったが、現在では残っていない、との記述がある。
昭和44年1月1日黒磯市(現那須塩原市)史跡指定。
【写真】鍋掛一里塚 [2502]
峠道をスタートし、越堀宿を通る。
富士見峠を過ぎると寺子一里塚跡である。
【写真】鍋掛一里塚 [2502]
【写真】鍋掛一里塚 [2502]
【写真】鍋掛一里塚 [2502]
【写真】鍋掛一里塚 [2502]
【写真】鍋掛一里塚 [2502]
【写真】鍋掛一里塚 [2502]
【写真】鍋掛一里塚 [2502]
【写真】鍋掛一里塚 [2502]
【写真】鍋掛一里塚 [2502]
【写真】鍋掛一里塚 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]