【写真】中田原一里塚跡 [2502]
読み; なかたはらいちりづかあと
所在地;栃木県大田原市
状況;一基現存(北塚)
案内板;有
塚木;不明
大きさ;径 / 高さ
指定;大田原市指定史跡(昭和36年3月22日指定)
位置;北緯 /東経 /AL
更新情報;2512追加
【写真】中田原一里塚跡 [2502]
「ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道;山の渓谷社」によると、「中田原村地内で西塚を残している。道路拡幅のため1.5m後方に移設されている。江戸日本橋より三十八里目(市指定史跡)」。
現地案内板では「中田原の一里塚は、奥州道中沿い、大田宿とつぎの鍋掛宿の間にあります。~これが一里塚で、5間(約9m)四方の方形に築かれ、塚の上には榎や松が植えられました。
この一里塚も当初は道の両側にありましたが、南側の方は宅地建設の際に取り壊されました。北側は半分切り取られた形で残っていましたが、道路拡幅の際、平成12年(2000)に約1.5m後方に移築されました」。
この付近は街道筋が東西に進んでいるため、残っているのは北塚となる。敢えて塚を東西で分けると東塚になるだろう。
【写真】中田原一里塚跡 [2502]
途中棚倉道への追分がある。
基本的に郊外の県道。
【写真】中田原一里塚跡 [2502]
【写真】中田原一里塚跡 [2502]
【写真】中田原一里塚跡 [2502]
【写真】中田原一里塚跡 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]
【写真】奥州道中 [2502]