一基現存(東側)
所在地;一戸町小鳥谷字高屋敷
案内板、柱標あり
塚木;あり
岩手県指定史跡
H2.8..28指定
北緯 40.08.27/東経 141.18.16/AL 240m
一戸町のHPにはこうある。「川底(かわそこ)一里塚。奥州街道の一里塚です。県内では数少ない主要街道の一里塚で幕末の北奥路程記、福岡通絵図に記録されています。塚は、東塚の1基しかありませんが、街道をはさんで西側はそのまま急な崖となっており、当初から1基だけだった可能性もあります。塚の規模は10.4×10.0m、高さ2.75mです。この川底一里塚から高屋敷、更には小鳥谷仁昌寺までは旧奥州街道が良好に残っている場所です」。
県史跡だが、以前は見つけることが出来なかった。しかし、たままた通りかかったら国道沿いに看板らしきものが出来ていた(0810)。
笹目子トンネルの青森側入り口の盛岡に向かって左(東)側だ。見てみると最近設置されたもので、手作り感が満点。とはいえおかげで川底一里塚を簡単に見つけることが出来た。
看板に従いトンネルの入り口の石碑から登っていく。幅2mほどの道を進むと途中で更に右斜面を登る。道幅も30cm位になる。案内板が無いとちょっと分からないかも。この坂を登りきると奥州道中にたどり着く。盛岡方向は斜面や鉄道で行き止まりだ。道はきれいに草も払われている。標高も高く眺めは最高だ。青森方向に向かい、トンネルの上を過ぎるとやがて塚が見えてくる。
一戸市役所HPには西塚がないとされているが削られているものの西側もそれらしく残っている。また、現地の説明板にも西塚ありとある。
北側は更に道が続いている。どうやら小鳥谷まで街道は残っているようだ。