【写真】奥州道中[2410]
とりいざかいちりづかあと
宮城県白石市
現況;残っていない
未確認
鳥居坂に一里塚があったというが痕跡は無い。
【写真】奥州道中[2410]
斎川宿の北、斎川踏切付近を出発。
踏切を渡り、国道4号線に合流する。
北上するが、途中「斎川の道路元標」がある。「距仙臺元標十四里」と記されている。仙台芭蕉の辻から56km。
新幹線の下をくぐり、石名坂バス停を通過する。国道らしい道筋が続くが、やがてバイパスに分かれる。旧道を進むと白石市街地に至る。
【写真】奥州道中[2410]
【写真】奥州道中[2410]
【写真】奥州道中[2410]
【写真】奥州道中[2410]
【写真】奥州道中[2410]
【写真】奥州道中[2410]
【イラスト】大名行列
伊達藩の参勤交代では白石城に宿泊、少なくとも休息し、片倉小十郎など家臣の出迎えを受けることがならわしだった。日程は基本的には7泊8日で宿泊は江戸から粕壁、小山、喜連川、白河、郡山、福島、白石に泊まることが多かった。
なかでも、四代藩主伊達綱村の初入国(延宝四年五月)はその人数の多さで良く知られている。藩を継いで間も無く「寛文事件」という派閥抗争があり、沈む藩の人心を鼓舞するため大名行列の規模も格別大きかった。
総勢3480名で弓、鉄砲それぞれ60、騎馬59。武器の後、藩主と護衛、藩主の武具、その後ろに騎馬が続く勇壮なものだった。その頃の藩の家臣総数が8400人程だったから、約40%が行列に参加したことになる。
普段の行列は2000人前後だったようだ。