【写真】田町交差点[2410]
しろいしいちりづかあと
宮城県白石市
現況;残っていない
案内板;なし
【写真】老人保健施設清風[2410]
市役所から少し南と思われる。
「白石市の南入口、今の田町角あたりにもあった。(文政領内図)。今日ではそれらすべてが失われてしまったのは惜しむべきことである。」(白石市史1通史編20頁)と花巻このごろにはある。そこの魚屋さんらしい。
痕跡は無いので田町交差点付近で写真を撮る。
白石市観光協会のパンフレットには「東京街道道標」が白石中学校門前にあると記されている。この道標は元々田町口にあったという。当たり前のように田町口と表記されているが、それがどこかは実は調べてみないとわからない。
【写真】白石城[2410]
白石城は益岡城あるいは桝岡城とも呼ばれた平山城である。片倉氏の居城として仙台藩南の要衝として機能した。
現在の天守は平成7年に木造で再現されたもの。
【写真】白石城[2410]
【写真】白石城[2410]
【写真】白石城[2410]
【写真】白石城[2410]
【写真】白石城[2410]
【写真】白石城[2410]
【写真】白石城[2410]
【写真】白石城[2410]
【写真】白石城[2410]
【写真】白石城[2410]
【写真】白石城 御城印[2410]
白石城の東側を奥州道中は通る。街道筋から少し外れたところにJR白石駅が所在。東北新幹線白石蔵王駅は更に斎川を越えたところにある。
本町大通商店街を北上すると長町で突き当たる。そこを西進するがやがて白石川沿いを再び東進する。
白石川を渡り、白石上山線を北上すると長袋一里跡となるが位置は不明。
【写真】白石城からの遠景[2410]
【写真】白石城からの遠景[2410]
【写真】白石市役所[2410]
【写真】奥州道中[2410]
【写真】JR白石駅[2410]
【写真】JR白石駅[2410]
【写真】奥州道中[2410]
【写真】奥州道中[2410]
【写真】奥州道中[2410]
【写真】奥州道中[2410]
【写真】奥州道中[2410]
【写真】奥州道中[2410]
【写真】奥州道中[2410]
【写真】奥州道中[2410]
【写真】白石川河川敷[2410]
【写真】白石川河川敷[2410]
【写真】片倉家歴代廟所[1010]
愛宕山の中腹にある。片倉家の歴代城主と7代村兼夫人の廟所。杉の老樹が鬱蒼と茂る中に、10体の阿弥陀像と1基の墓碑がひっそりと並ぶ。
片倉家の廟があるというので見に行った。が、そこはお墓だった。いや、もちろん廟だから墓なのだがまわりが普通の共同墓地になっているのだ。
よく田舎に部落の墓地があるがあのような感じ。駐車場から共同墓地を過ぎると廟が見えてくる。杉木立に囲まれたその場所は観光地とは少し違う雰囲気。歴史の重みの前に鳥肌が立つような空気。夕方などは探索はきついか。
現地は木が生い茂り白石城は見えないが往時は城が望めたという。仏像が並び、白石宿を見守るようだ。
またこの地は愛宕山と言うそうだ。岩手県盛岡市にも愛宕山がある。京都の愛宕神社が有名だが、火伏の神をまつる神社である。