【写真】奥州道中 [2503]
じょうのいちりづかあと
宮城県栗原市
現況;現存?
案内板;なし
2503加筆修正
【写真】奥州道中 [2503]
宮城県歴史の道調査報告書には「大仏一里塚」として現存と有るそうだ。
ただ、現地はいろいろ造成が入っており、資材置場などになっており塚らしきものは見当たらない。宮城県歴史の道調査報告書の地図だとモーテルのあたりになるが・・・・。
国道から一本入った通りで、廻りの雰囲気は田舎の農村という雰囲気。道路わきに盛り上がりがあるので写真を撮ってみたが、小さすぎるのでここでは無いだろう。
なお、民間に払い下げになった一里塚は、農地化などで消滅してしまう事は割と多いそうである(ここがそうとは言っていない)。
【写真】奥州道中 [2503]
モーテル付近を出発。旧道を進むと入ノ沢遺跡の標柱が現れる。侵入が出来ないようゲートがある。
更に進むと照明禅寺を左に見ながら集落に入る。
城生野には伊治城(いじじょう;これはるじょう)があり、中心部を国道4号線が通り、奥州道中も西のはずれを通っている。この城は朝廷の蝦夷経営の前線として築城された。ちなみに大仏は城生野より南に位置する。
集落に小学校もあるがそこは伊治城の外郭だ。そこで圃場整備が入った水田で道は途切れる。
城生野北の滝ノ沢で奥州道中は国道4号線に合流し、北に進む。
【写真】奥州道中北側牧草地 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 モーテル[2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】伊治城案内板 国道4号わき [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 照明禅寺[2503]
【写真】奥州道中 照明禅寺[1010]
【写真】奥州道中 照明禅寺[2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 伊治城外郭[2503]
【写真】奥州道中 伊治城外郭[2503]
【写真】九ノ戸神社[2504]
沢部宿から西に数キロ進むと九ノ戸神社がある。ここは奥州仕置関連の九戸政実の乱で敗れた九戸政実(くのへまさざね)の胴体が埋められた場所と言われている。神社付近には「九戸政実首級洗いの井戸」も史跡として残っている。
ちなみに首は豊臣秀吉の元に送られたという。
この九戸政実、南部家の一族で、歴史小説「天を衝く」(高橋克彦著)でとりあげられている。
「くのへ」は九戸だが、現地では「九ノ戸」と「ノ」が入っている。
なお、岩手県の九戸にも九戸神社がある。
【写真】九ノ戸神社[2504]
【写真】九ノ戸神社[2504]
【写真】九ノ戸神社[2504]
【写真】九ノ戸神社[2504]
【写真】九ノ戸神社[2504]
【写真】九ノ戸神社[2504]
【写真】九ノ戸神社[2504]
【写真】九ノ戸神社[2504]