【写真】奥州道中 伊勢堂坂一里塚[2503]
いせどうさかいちりづか
宮城県栗原市
現況;2基現存
案内板;あり
塚木;不明
【写真】奥州道中 伊勢堂坂一里塚西塚[2503]
以前訪問した際には見ることが出来なかったので下記の記録を残している。
【鬼死骸から南、奥州道中は車が通ることが出来る道からはずれ、廃道、林道を通る。
有壁側から車で探索に出掛けたが、旧有壁本陣跡、観音寺を北上すると伊勢堂林道の柱標が見える。砂利敷の4m程の道路で、途中まで車で乗り入れることが出来る。私はかなり奥まで車で行きUターンできなくなったが、そこで稲刈りをしていた方に聞くとそこはもう奥州道中ではないとのこと。
頂上のドコモのアンテナまで行くと行き過ぎで肘曲がり坂の案内板のすぐ北で分岐している細道がおそらく奥州道中だろう(時間が無く、歩いて確認できなかったが)。
この付近でも充分旧道の雰囲気を感じることが出来る[1002]】
宮城県「歴史の道調査報告書」では先の有壁宿南の塚とともに肘曲がり坂に一里塚があるとされている。新道との分岐点から100m程で「高さ5m、幅10m。文政七年の大神宮、文政十二年の山神、弘化四年の二十三夜供養碑、万延元年の馬頭観音碑がある」とあり具体的だ。
また石碑は5mも上だと見えなくなるが明治天皇御巡幸で道路の掘削を行ったためと考えられる。
【写真】奥州道中 伊勢堂坂一里塚左が東塚[2503]
実際、有壁一里塚からは1kmちょっとと非常に近いため、移設されたものと思われる。
江戸時代初期には仙台の起点は芭蕉の辻だったが、程なく北目町に変更されているため、このズレが原因なのだろう。
このHPでは北目町を起点としているため、伊勢堂坂一里塚は古一里塚といったところか。
しかし、宮城県では新鹿野一里塚のみ現存のため、両側現存の塚は貴重である。
【写真】奥州道中 伊勢堂坂一里塚[2503]
【写真】奥州道中 伊勢堂坂一里塚西塚[2503]
【写真】奥州道中 伊勢堂坂一里塚西塚[2503]
【写真】奥州道中 伊勢堂坂一里塚東塚を望む[2503]
【写真】奥州道中 伊勢堂坂一里塚東塚を望む[2503]
【写真】奥州道中 伊勢堂坂一里塚東塚[2503]
【写真】奥州道中 伊勢堂坂一里塚東塚[2503]
【写真】奥州道中 伊勢堂坂一里塚東塚[2503]
【写真】奥州道中 伊勢堂坂一里塚東塚[2503]
【写真】奥州道中 伊勢堂坂一里塚左が東塚[2503]
【写真】奥州道中 [2503]
伊勢堂坂一里塚は東西現存だが、道筋よりかなり高いところにある。春先ということもあり、落ち葉で道は分かりやすい。
途中、有壁館への分岐がある。
GPSで位置を確認し、Googleマップに位置を記録しながら進んでいく。なにせ国土地理院の地図にも記入されていない道だ。
この時、有壁側から鬼死骸までのピストンだったのだが、復路で違う道(迂回路)を通ってみたら道迷いになってしまった。低山といえ気を付けないといけない。
道は基本、林の中だが北上していくと突然風景が開け水田のある一帯に出る。家もあるようだが国道側からのみのアクセスのようだ。
更に北上、峠のあたりで宮城と岩手の県境に出る。
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 宮城岩手県境[2503]
【写真】奥州道中 宮城岩手県境[2503]
県境では別の林道と合流する。
岩手県側に入ると更に道が整備されている感じとなる。真柴まちづくり協議会という団体が手入れしているようだ。
案内看板もこれでもかというくらい設置されている。200mおきくらいか。
途中の看板では鬼死骸停留場の方に出る迂回路の表記がある。これを見たおかげで帰りに違う道を通ってしまったのだが…。
いづれ、道なりに整備された街道を進めば国道4号線鬼死骸に到達する。
なお、鬼死骸一里塚手前には鬼石があり、歴史好きのチェックポイントなのだが、ここでは「兜石・肋石・背骨石」のみ紹介し、次で触れたいと思う。
【写真】奥州道中 宮城岩手県境[2503]
【写真】奥州道中 宮城岩手県境[2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 [2503]
【写真】奥州道中 兜石・肋石・背骨石[2503]
【写真】奥州道中 兜石・肋石・背骨石[2503]