多賀城碑拓本。青森県八戸市博物館蔵。
■増田宿から中田宿まで
増田からはあっという間に到着する。現在は町並みが一体化し増田との境が分からないが、往時はここで川を渡るために気を引き締めたことだろう。
[]多賀城碑覆堂(宮城県多賀城市)。
■中田(なかだ)宿
名取川のすぐ南、JR南仙台駅付近が中田宿。川留めになった際のために整備された。長町にも近いが、雰囲気は大分違う。北に向かい橋を渡ると急に都会的な景色となる。橋の手前のこの付近は増田宿と一体化した住宅地で昭和の香りのする町並みである。交通量も多目だが幹線は東側にバイパスが通っていてそちらがメインの通行路。
■多賀城碑 1
奥州道中が岩沼から仙台までの直線路に付け替えられるまでは、岩沼から仙台西を通り、多賀城へ抜けていた。その多賀城に現在に残る多賀城碑、これは歌枕の「壺の碑(つぼのいしぶみ)」であるとの説がある。万治~寛文年間(1658~1672)に土の中から掘り出されたとか、草むらで発見されたという。発見時から歌枕の「壷の碑」とされ有名となり、「奥の細道」によると松尾芭蕉が元禄二(1689)年に見に来ている。
下に続く。